弁護士制度のルーツ
西ヨーロッパで、主にローマ法の下の制度として発達した。ラテン語では advocatus、コモン・ローにおいては法廷に立つ資格の有無に差がある。
中世ヨーロッパでは法律家を養成するため、各大学に法学部が設置されていた。
日本の弁護士の制度は、明治になり近代的司法制度の導入とともに誕生し、代言人(だいげんにん)と呼ばれていた(明治の旧弁護士法制定までは専ら「代言人」と称されるようになった)。ただ、代言人の地位は決して高くはなく、軽蔑されることも多く、また、初期にはきちんとした資格制度が存在していなかったために、中には悪質な者も存在した。江戸時代における公事師(くじし)を弁護士の祖形ともする人がいるが、法による支配が十分でない江戸期においては本質的にかなり違うもので、単なる口ぞえ人、あるいは官に提出する書類について便宜を図ってくれるという点で、むしろ後の代書人に近い。もっとも、中には代言人に近い者も存在しており、訴訟1件を300文(実際に300文だった訳ではなく、二束三文のように価値の少ないことを表す)で引き受け、不適切な活動を行う悪質な代言人もいた。彼らは三百代言と罵られ、現在でも弁護士を罵倒するのに三百代言という言い方をすることがある。
1893年に近代的な「弁護士法」が制定され、初めて「弁護士」という名称が使われるようになった。だが、当時の弁護士は司法省(検事正)の監督のもとにおかれ、その独占業務も法廷活動に限られていた。弁護士は裁判官や検察官よりも格下とされ、試験制度も異なっていた。1936年の改正によって、弁護士の法廷外での法律事務の独占が認められるようになった。
戦後、1949年に新しい弁護士法が制定され、国家権力からの独立性が認められた。これを弁護士自治という。同年、日本弁護士連合会(日弁連)が結成された。司法試験によって裁判官、検察官、弁護士を一元的に選ぶこととなった。